いくつかの言葉

校長 大坪 辰也

 唐突で恐縮ですが、私は教員になって今年で29年目となります。ただ、ずっと前から教員になりたかったかというと、そうではありません。先日配布されたPTA広報委員会(第12号)の職員紹介にもあるように、幼いころは「自動車関係の整備士になりたい」と思い、エンジンの分解やそのシステム、部品の購入方法など自分で調べまくっていました。(”博士ちゃん”まではいきませんが。)庭先で手先真っ黒になりながらいじっていたことを懐かしく思います。

 では、どうして教員になったのか、いやもっと言えば”なれたのか”と思い返すと、そこにはいくつかの言葉が重なり合い、少しづつ気持ちがゆらぎ、だんだん教員になりたいと変化していったのではないかと感じています。

 

 小学校3年生時。担任の先生が”大坪君の声は面白いねえ。もっともっと歌声を聴きたい”とまゆ毛を下げ満面の笑みで話されました。当時の通知表には「美しい声で歌うことができる」の項目があり、1、2年次は「×」。歌うことにやや抵抗を持ち始めていた私にとって、うれしい言葉なんだろうと感じました。

 小学校6年生次。高学年になり、やや反抗期も入っていたと思います。図書室の本を片付けるのではなく、友達に「これ片付けとけよ」と、ポンとほかった瞬間、”たっちゃん、人にやらせるなんて、絶対許さんよ”と、両手で顔を抑えられました。私が2年生の時の担任の先生でした。その先生の目は鬼の形相ではなく、涙目だったことをはっきりと覚えています。やさぐれていた自分を真剣に叱ってくださった言葉です。

 中学2年生次。職場体験のこと。この時も、やや、やさぐれていた自分。それでも、私が保育園児だった頃の4人の先生がそのまま迎えてくださり、食事でも遊びでも昼寝でも、1週間みっちり行いました。”お兄ちゃん、鬼ごっこ!””なんで行ってしまうの”との終了時の園児の言葉。何も考えずただ単に選んだことを深く悔やみました。この言葉は、私の胸に突き刺さるものはあり、私も涙しました。改めて、いい加減に、ただ何となくの理由なのに受け入れてくださった園の先生方に、申し訳なく、そしてちゃんとやっていこうとすることが大事だと決意した瞬間でもありました。

 

 このように、およそ40年以上も前のことですが、心に残る景色として今でも焼き付いています。

 

 1学期が終了する今、どんな言葉は印象に残っているでしょうか。支えてくださった言葉、真剣に叱ってくださった言葉、うるさいなあと思った言葉等々、いくつかあることだと思います。それを一度思い返す機会をつくると、また一歩成長できると信じています。

 学校生活だけではないことが展開される34日間の夏休みが始まります。どんな言葉が印象に残ったか、休み明け、元気な姿とともに教えてくれると嬉しいです。