shirakawa go around

17.05.06

下山勝巳

白川村の楽しみ方

合掌家屋に歴史と昔話あり

さて、下山です。

GWに入っておりますが、連日の大渋滞であります。
多くの方が「世界遺産白川郷の景色」をご覧にいらっしゃり、そして景色だけを見て帰っていきますが、本当に価値があるのは「景色」ではなく、その背景やそこで継がれてきた歴史にあったりするのではないかと地元民としては思います。

そんなわけで、本日はすごくマイナーな、現在まだ残っている合掌家屋にまつわる昔話をご紹介。

 

馬狩の怪力与左衛門

マイカーでいらっしゃる方々の白川郷の玄関口、せせらぎ駐車場の横には、合掌造り民家園という施設があります。

KIMG2103

白川郷 野外博物館 合掌造り民家園
http://www.shirakawago-minkaen.jp/

 

 

ここには、白川村の廃村となった集落などから合掌造りが移設、保存されています。
その中の一つ、旧信称寺本堂。

KIMG2099 KIMG2101

こちらの建物ですが、元は白川村の馬狩集落というところにありました。
このお寺には、こんな昔話が伝わっています。

馬狩の怪力与左衛門(白川村役場HP 白川郷のむかし話)
http://shirakawa-go.org/kankou/mukashibanashi/mukashi09/1185/

 

この昔話の与左衛門さん、刀鍛冶であったということですが、馬狩の信称寺跡では今でも掘ると「かなくず」が出てきます。

これは「たたら製鉄」で玉鋼を作る際に出る純度の低い鉄の屑です。
手元に実物が無いので写真はありませんが、実物を見たこともあります。

 

馬狩の信称寺跡 現在はお墓と建物の礎石が残るばかりです。
KIMG2110

 

 

白川村の鉱山

馬狩地区にはかつてモリブデンの鉱山がありました。

子どもの頃、明治生まれの曾祖母に聞いた話ですが、曾祖母がまだ子供のころ、真っ赤な顔をした白人が馬狩にやってきて、外国人を見たことのない曾祖母は「でっかい赤鬼がきた」と怖くて震えたと言います。
その白人が何をしに当時ど田舎の白川村の、これまたくそ山奥の馬狩までやってきたかというと、どうも与左衛門の作った刀が海外に渡り、その刀の切れ味がすごいということで、その刀の出所、その刀の原材料となった金属を調べるなかで馬狩にたどりついたとのこと。
その際の調査が元でモリブデン鉱脈が馬狩にあることがわかり、鉱山の開発が始まったとも。
祖母から聞いた口伝ですので、裏付けのある話ではないのですが、馬狩の鉱山に関して、川口孫次郎氏の「飛騨の白川村」の鉱山の項に記載がありました。

(川口孫次郎氏「飛騨の白川村に関しての記事はコチラ

以下抜粋

「今(大正6年10月)より18年前に地方人がこの近傍に露出せる輝水鉛(モリブデン)を「烏(からす)の眼」と称して、光る故に怪しい物であると恐れていたのを
この事実から端緒を得て遂にこの鉱山(馬狩鉱山)を発見し、それより開鉱して今日に至っているという。
今までに発掘された最大塊は1個にして300貫(1125kg)以上、時価1万円(現在のおよそ500万円~1000万円に相当?)のものもあった。
ぽつりぽつりと出てくるものなのだが、出始めるとたくさんでる。  半年ほど連続してでてくる。このような鉱床をポケット式という。開鉱以来、36トンあまりを採掘しているという。」

大正6年から16年前というと、明治34年。 もしかしたら、やはり、祖母が見たという白人の方は、国、ないしはどこかの会社の手配で鉱山技師として調査にやってきた海外の技術者だったのかもしれません。
ここらへんに関して、どこかに別の記録が残っていると面白いのですが、あいにくまだ見つけたことがありません。

さて、ここで考えるのが、もっともっと古い時代の「与左衛門がどうやって鉄をとっていたのか?」ということ。
おそらくですが、川から砂鉄をとり、それによって玉鋼を作り、また山の表面に露出しているモリブデンも使っていた(あるいは砂鉄に混じっていた)かと思うのですが、どんな風にやっていたのでしょう?
今はもう白川では失われてしまった技術のことに思いを馳せると、何ともわくわくします。

与左衛門さんの刀が今現在も東京のほうにあるどこかの博物館に一振り収蔵されているとも聞いたことがありますが、詳しくは知りません。
これに関して、きちんとした学術的な調査が行われたことはいまだかつてないと聞いているので、いつかどこかで白川村の教育委員会あたりで調査してもらえると面白いなぁと。
(どうでしょうか?教育委員会さん?)

馬狩山中には、祖母なども「なんなのかわからん」と言う石組の遺構があったりするので、もしかしたら、それは刀造り、ないしは玉鋼を得る方法に関係しているのかもしれません。

さて、話がちょっと自分の趣味に走りましたが、「昔話の舞台となった建物が、今でもなお残っている」のが、白川村であります。

ひとつ一つの合掌家屋に先祖代々から受け継がれてきた物語や歴史があります。

「ただ景色を見る」のではなく、そういったことに思いを馳せてみると、また違った白川村が見えてくるかもしれません。

 

すす払いの掛け軸

さて、この信称寺には、かつて、「すす払いの掛け軸」と称される掛け軸がありました。
文字だけ書かれた掛け軸だったそうですが、その掛け軸に書かれた文字が夜になると掛け軸を飛び出しカサカサと壁や天井を走りまわり、それによってすすが払われるということで「すす払い」の掛け軸と呼ばれたとのこと。
「そんなバカな話があるものか」と村の若い衆が怪異を確かめてやろうと本堂に泊まったところ、「そんなことあるわけがない」と言っていたことが実際に起きて若い衆は飛んで逃げて帰ったという昔話があります。
その掛け軸は祖母が若いころに住職が「毎晩毎晩カサカサカサカサやかましい!!」と腹を立てて売り払ってしまい今となってはどこにあるものやらわかりません。
今でもどこかでカサカサと音を立てているのかもしれません。

信称寺に関しては他にも大蛇にまつわる昔話(とはいっても、曾祖母から聞いた曾祖母が子供のころの話)などもありますが、それはまた別の機会に。
しゃみしゃっきり。

この記事を書いた人

下山勝巳

下山勝巳

白川村生まれ、白川村育ちの会社員。趣味できのことったり山菜とったりきのことったり、古い文献に触れてみたり、昔の古い時代の話を調べたり、口伝を記録してみたり、わりと変わったことに興味もってみたりしています

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